「事のはじまりをどこに置くのか」    03−10−19
                       ルカ10:38〜42

 「必要なことはただひとつだけである」と主はおっしゃいます。それを見失う時に、
私たちは思い悩み、心の乱れに襲われます。

 イエスさまの一行が、マルタとマリアという姉妹の家に迎え入れられた時、
マルタはもてなしのためにせっせと動き回っていました。ところがその時、
マリアは、イエスさまの足元に座って、話に聞き入っていたのです。
マルタは、手伝わない妹のことで腹を立てたのでしょう。主はマルタに言いました。
「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。」
 主は、「マリアは良い方を選んだ」とおっしゃいます。それは主の言葉に聞き入る
ことでした。主に聞くことの大切さは、聖書のいたるところで語られています。
主のところにとどまり、耳を傾けることが、人間には、なくてはならないことだからです。
 この時マリアは、聞くことを「選んだ」のでした。選ぶのは、簡単なことではありません
でした。姉や、周囲の目は、それを良いことだとは見ていないからです。
それでも大きな決断をして選びます。マリアは、なくてはならないことを選ぶことの
できた女性でした。
 マルタもイエスさまの話を聞きたかったはずです。
しかしそれを選べないでいました。主はそんなマルタをいとおしむように、
「マルタ、マルタ」と呼びかけられました。叱りつけるためではありません。
選べるようにと呼びかけ、招いておられるのです。

 主に聞くことを選ぶことは、他のことを捨て去ることになります。ですから、
選ぶことに躊躇
(ちゅうちょ)します。しかし、主に聞くことでこそ、捨て去ったことが
生きてくるのです。マリアは、後に、真に主をもてなす者となります。選ぶことが
できるようになったマルタは、後には、いきいきと給仕をしています。

 主に聞くことを選ぶことは、直面する出来事に誠実に向き合うことを
可能とします。
 主の言葉に支えられ、力づけられた事を進めて行く事が出来るからです。
 そのために、主は、私たちにも呼びかけていてくださるのです。